【し】

【諸葛亮孔明】(しょかつりょうこうめい)とは ―天才軍師の代名詞―

181年~234年

 

中国の三国時代に蜀に仕えた天才軍師

 

208年 「三顧の礼」により劉備の軍師となり「天下三分の計」を説いた

 

 

 

国名
別名曹魏(そうぎ)
前魏(ぜんぎ)
孫呉(そんご)
東呉(とうご)
蜀漢
(蜀漢は後世の名称
正式には「漢」)
建国年220222221
建国までの主だった人物曹操父、孫堅・兄の孫策劉備
建国時の皇帝曹丕(そうひ)曹操の息子孫権(孫堅の孫)劉備
人口440万250万90万
軍隊60万23万10万

234年 五丈原(ごじょうげん)の戦いにて病死

 

263年 蜀滅

 

 

諸葛亮孔明のすごさが分かる逸話

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」とは

五丈原の戦いの最中に、諸葛亮は陣中で病死する。

 

 

孔明が率いていた蜀軍は遺言の通りに軍をまとめて退却を始めた。

 

 

五丈原で対陣していた魏の軍師:司馬仲達(しばいちゅうたつ)はその退却の様子を見て、陣形を整えて反撃する様子を見せたことから警戒して追撃することができなかった。

 

 

そこで人々は、「諸葛亮孔明はすでに死んでいるのに、まだ生きている司馬仲達は怖がって逃げ出した」と伝えた。

 

 

しりとり先生
しりとり先生
司馬仲達はその後3国を統一して「晋」を興した

 

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