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【渚・汀】(なぎさ・みぎわ)とは ―「水際」最後の選択肢「みぎわ」の使い方―

 

「渚」も「汀」も

海や湖など水と陸地が接している水際のこと

または波が打ち寄せる波打ち際のことを言います

 

 

「渚」でも、みぎわとも読めます

逆に「汀」で、なぎさとも読めます

 

 

ややこしいですね…

 

 

使用頻度は圧倒的に「渚」が高く

Googleの月間検索頻度では「汀」は「渚」の1/100程度ですので

「汀」の認知度はかなり低いと言えます

 

 

同義語ですが語源は微妙な違いがあり

使用方法にも若干の違いがあります

 

 

「渚」と「汀」の語源の違い

 

 

 

「渚」も「汀」も

寄せる波のなだらかになる場所 という意味の語源ですが

 

 

「渚」は中州を意味し

「汀」は釘を打って止めるという意味を含みます

 

 

語源では

海岸や川のほとりの波打ち際という意味で使用する場合

「汀」の語源の方が近いと言えます

 

 

「汀」を使うここぞという文脈

 

 

「渚」と同義でありながらほとんど使用されていない「汀」ですが

知っているとここぞという時に使えます

 

 

「汀」を使う文脈① テンポ、音

 

文字数的に声に出したときにテンポがいい場合や

音がしっくりくる場合に使用するとぴったりな事があります

 

 

汀の草に紅葉の散りとどまりて、霜いと白う置ける朝

徒然草(1331頃)一九

 

 

 <現代語訳>

水際の草に紅葉が散り留まって、霜がたいそう白く下りている朝

 

  

「汀」を使う文脈② 淡水

  

  

「渚」は海辺に使用するイメージが強いので

淡水の湖、川などの水際は「汀」を使うとしっくりくる場合があります

 

河下の方へ歩き出した彼は、やがて誰一人飛んだ事のない、三丈ほども幅のある流れの汀へ足を止めた。

「素戔嗚尊」 芥川龍之介

 

 

ところが汀に近いところに、なめ跡があるからこれはたしかに鮎がゐると思ひ込んで、釣つたところで掛るものではない。

「水垢を凝視す」佐藤垢石

 

  

  

「渚」をなぎさ、「汀」をみぎわと読んで使い分ける文脈

 

 

渚も汀も、なぎさとも読めますしみぎわとも読めますが

「渚」はなぎさ

「汀」はみぎわ

として読むほうがしっくりきます

  

  

現代では「渚」をなぎさと読む事が多く

徐々に「汀」をなぎさと読む事を知らない人も増えてきました

   

  

ここでは、「汀」をみぎわ、なぎさと読みわける文脈をご紹介します

 

 

「みぎわ」として読むほうがしっくりくる文脈

そして異様な力から解放された若者は、黒い影法師を老人の足もとにのこしておいたまま、池の方へ下っていって、までくると立ちどまった。

「おしどり」新見南吉

 

 

「なぎさ」として読むほうがしっくりくる文脈 

しかし栄蔵は、向かふの方でお母さんが呼んででもゐるかのやうに、ふり向きもせず走つていつた。しかも、お母さんも誰もゐない、はてしなく続いてゐるを、西の方に向かつて。

「良寛物語 手毬と鉢の子」新見南吉

 

 

青空文庫のルビでも

①はなぎさ

②はみぎわ

と読み分けられています

 

 

結論:「渚」「水際」がいまいちしっくりこないときに「汀(みぎわ)」を使う選択肢が出てくる

  

 

使いこなすにはハードルの高い「汀」ですが

「渚」や「水際」がしっくりこない文脈で使用できれば

スマートです

 

 

ただやはり現代では「汀」を読めない人も多い為

「みぎわ」と仮名でつかう選択肢もあります

 

 

川幅がひろがって大きく曲る左岸の、えぐったように岸へ侵蝕したところに淀みがあり、そのみぎわに沿って葦は生えていた。

「葦」山本周五郎

  

 

この文脈では「渚」ではなんだか海っぽいし

「水際」ではテンポが悪く

「汀」では読みにくいので

 

 

「なぎさ」はぴったりな選択肢だと思います

 

  

【おまけ】渚・汀画像まとめ

 

ここからはおまけです

渚・汀、どちらの言葉が画像にあってるのか

考えながら見るとまた違う視点で見る事ができるかと思います

 

 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
しりとり先生
しりとり先生
ここぞという時に汀が使えれば語彙力強者ですね。私はまだ使えたことがありません(笑)

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