【さ】

【三顧の礼】(さんこのれい)とは

場所は中国 207年の冬から208年の春

 

参謀を欲する劉備(りゅうび)が

 

隠遁生活を送っていた諸葛亮孔明を3度訪れて軍師に迎え入れた

 

当時劉備は国こそ持たないものの、乱れる国内の群雄の一人としてみなされており、

 

ほぼ無名の諸葛亮に比べて20歳も年上(劉備40代、、諸葛亮20代)であった。

 

この故事より

 

三顧の礼は

 

何かを頼む為に、(目上の者が)何回も訪問し礼儀を尽くす事

 

の意味として用いられている

【諸葛亮孔明】(しょかつりょうこうめい)とは ―天才軍師の代名詞― 181年~234年   中国の三国時代に蜀に仕えた天才軍師   208年 「三顧の礼」により劉備の軍師...

 

諸葛亮孔明に会えた劉備のその後

 

劉備は3度目の訪問で諸葛亮孔明に会い

運命が大きく動いていく

 

諸葛亮は「天下三分の計」

 

=「強敵がいて天下全体を支配するのはむずかしいので、天下を三つに分けて支配するように持っていこうとする策。具体的には、天下を三分割して曹操(そうそう)孫権(そんけん)劉備の三人で中国を支配する策」

 

を説いた

 

それから13年後の221年

 

諸葛亮が説いた「天下三分の計」が実を結び、劉備は初めて国(蜀)を持つ事ができた